法と心理
心理学者の目から見ると、現在の刑事裁判のあり方には、いくつもの危うさがある。特に被疑者の自白や被害者とされる人物の被害供述、あるいは目撃者の目撃供述くらいしか証拠がないケース、つまり供述が主たる証拠となるケースにおいて、その危うさは際立つように見える。
例えば、一般に刑事裁判では、被告人の有罪立証を目指す検察側とその防御を目指す弁護側とのあいだで、「合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証」が行われたか否かが争われるが、こうした枠組みに孕まれている危険性については、一般にあまり認知されていない。その危険性とは、刑事裁判で争われているのは、ひとえに「被告人が有罪である」という仮説の妥当性のみであって、そこでは実質上ただ一つの仮説のみしか検討されていないということである。本来、論理的誤謬を犯さないためには、有罪仮説を検討すると同時に、被告人は無実なのではないかという無実仮説についても検討し、どちらの仮説がより高い説明力を持つかを吟味しなければならない。有罪仮説の単なる否定形である無罪仮説と、その対立仮説である無実仮説とは、似て非なるものである(つまり、被告人の有罪性を吟味する視点と、無実可能性を吟味する視点は、全く違った風景を立ち上がらせる)のだが、その無実仮説を吟味することの必要性が必ずしも十分認知されてはいないのである。
この問題に対して有効なのが、対立仮説検討型の供述分析である。これは、その供述が実体験を持つ者の供述として自然なものなのかどうかを、心理学的に分析していく手法である。有罪仮説と無実仮説の両方向から検討を加える点、論理的にその供述が妥当であるか否かだけでなく、人間の体験の流れとしてそのような供述が出てき得るのかどうかをも検討していく点にその特徴がある。
他にも、他者によって支配された人間が犯した刑事事件や、子どもや障がいについての知識が必要な事件などに関して、心理学者から法の世界に投げかけたい問いはさまざまある。「私はやっていない」、あるいは「私がやりました」という声の背後に潜む真実を、果たして法と心理学の協働によって見出すことはできるだろうか。